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2011年4月

「鈴木先生」本日放映!

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双葉社アクションで
連載中の「鈴木先生」が本日25日夜10時からTV東京7チャンネルにて毎週で放映されることになりました!

原作者の武富健治さんとは7年来の付き合い。共通の友人森田直樹が夭折して、森田君と私の二人絵画展(彼の遺作を展示した)で、
武富さんが観に来てくれたことに始まる。

それから武蔵小金井の彼のアトリエに、中園直樹さんと遊びにゆき、奥さんお手製のカレーをご馳走になり、ドストやシュティフターや森田君の話をしDVD「アバロン」や「カラマゾフの兄弟」を借りた。

ムジカマジカにも超多忙な中を観に来てくれた…
今は第11回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞し、売れっ子の作家さんとなったわけだが、
彼独自の文芸漫画はなかなか世に認められなかった。武富さんは自身を文芸漫画作家と明記し、自身私の前で語ってくれた。

そのドストフスキ-的手法から過剰なセリフの畳かけ、次から次へと事件を呼びこみ、有機的にに絡まりあってゆく緊張感に、読者は疲労の中にあってなお、ぐいぐい物語にのめり込む。恍惚感のなか、現代日本の教育現場の立ち会い人になる。

全11回(現在10巻)完結である。

いつも手紙とサイン入りの新刊を送って下さっている。

身近に、このような努力の人が世に認められる姿を見るのは嬉しいことだ。ほんとうに励みになる。

主演は
長谷川博巳
臼田あさ美
山口智充ほか

エンディングテーマはなんと
尾崎豊の「僕が僕であるために」これを馬場俊英が歌う。

ぜひ、こんばん10時はテレビ東京を観てほしい。

必見だ。

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短歌(制作順)

今日書いた短歌だ。
まずはリハビリ。

三週間も短歌が書けないと絶望的になる。

あいかわらずの強迫観念だ。

創作しなければ批評もまともにできなくなる。

と、こうプレッシャーを自分で作っては輪廻するのだ。

さて…


  †  †  †



かたわらに眠るキマイラ髪なでて春の夜深く長く過ぎゆく


悪霊の憑くほど肩も眼もすべてやさし、やさし、と世を御している


残響の工事現場に佇めばわたしのスペルを忘れてしまう


墓標とは夢のようにも思われてただ踏みしめる桜の道を


イカルスの幾度失墜せし朝を見送るように目覚めているか


風になれ星になれよと呟いて風にも星にもなれぬ世を往く


あこがれは幻いつも海に立つ陽炎の街 敬礼の街


ぜんしんに鎖巻きつく罪を負い獄の窓辺の緑眩しき


見殺しの少年ばかりポケットに詰めて血塗りの右手を洗う


心臓のパドックの中いななきも蹄も鳴れど開かずの扉


心臓のなかで全力疾走の馬一頭の俺のレースか


アスファルトに刻む吃音生まれては死ぬこと容易く難しきこと


かおかおかおかおかおかおの生け花の無惨の子供棄てられている


お互いの鉾を交わして飲む酒の火花散らせば風の戸を打つ


弔いの指でまぶたをこすっては全身炭のように崩れる


吃音の朝 さいしょからやり直しなんてできやしないよ


できやしないできやしないと叩く戸のいつか崩れてゆくのだろうか

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自由律俳句 制作順

これからは極力ほとんどの作品をアップしようと思う。
未発表のバックアップを忘れてしまっても取り返しがつかない。
写真と音源と手紙、これが痛恨事だった。
思い出だけで生きてこれたのだから。
いまだノートパソコンは行方不明のままである。

携帯も止まってしまった。
これからなんとか支払いにゆく。

生活が、追いつかない。
けれど、暗くはない。充分にやってきた。

………

昨日は大衆文藝ムジカの友が来てくれた。

今日も居酒屋町人に出なくてはならぬ。
水仕事がこたえる。手荒れ、薬が効かない。

さて、ここ三日の自由律俳句・制作順に並べる。
千の駄作のなかに光るもの、必ずあると信じる。

 †  †  †

役目終えて倒木だれかの椅子になる


春のまんなかで浮かぶ


本をたたむ私をたたむ


叫ぶなら地下鉄


指でつままれた俺の蛆虫


いちにち折れている


ゆうべのさざなみがけさ届く


まだ笑っているごぎぶり


薬ぬってもう厭きた


にんげんに懲り懲り熊になる


全焼のからだひとつで建て直す


また振り向けば君の代わりに猫が寄る


天に食物はあるか 一人米炊く


明日もひとりの風が吹く


にんげんがわからない星ならわかる


葬儀までかぞえる指が赤い


毛布のなかの星座数えているのだよ


ぬいぐるみになっている


遺失物に二十歳の眼ふたつ


悪逆の限りをひとり野に広げ


まぶしい血だそっと拭き取る


さよならはしない折鶴を折る


米粒をつまむ宇宙をつまむ


夜の窓に夜の顔を映している


ぱかぱかと笑ったあさり頂きます


それぞれ四季に病んでいる


 †  †  †


道をきかれたその人と歩く


返す返すも深い青空


黄昏た顔の謎めいてくる


指が春の点検しています


霞む日だ


夜が白んでゆく葬る時だ


音もなく蟻 湧いてくる


けだるさの夢が覚めない


桜泣いている人に降る


最後の桜か日暮里を歩く


二度咲いた桜踏まれる


微笑みのじゅうぶんな殺意だ


死んでなお遊びたがるおまえがいる


背中に立つ


夢もからっぽのぼくの器だ


呼び止めて桜は桜として散った


じゅうぶんに死んだ朝に目覚める


扉へだててノックの手止めている


こども春の刈入れをしている

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ピンクシャツデー

葛原りょうは反いじめキャンペーン「ピンクシャツデー」を支持しています。公式サイトはこちら→http://www.pinkshirtday.ca/

作家でありマイミクの中園直樹さんのメッセージはこちら→http://www007.upp.so-net.ne.jp/nakazono/onegai.htm

ピンクシャツデー・コミュニティはこちら→http://mixi.jp/view_community.pl?id=5514272


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私のいじめ体験は三鷹の小学生1年からはじまる。(幼稚園時代も力学上あったがそれは省く)生まれた時から私は喘息とアトピー性皮膚炎がひどく、何をするにも休みがちだった。小学生時代は1年のうち2回は必ず入院していた。小2の頃、足が動かないと嘘をつき、不登校を始めた。足を使わずにいると、本当に動かなくなってしまい、膝をつきながら両腕を松葉杖のようにして校舎の階段を登った。

タナベ君という知的障害の子が一人、40名近い私のクラスにいて、よく集団でいじめられていた。別のクラスではウエノ君というやはり知的障害の子がいたが、とにかくこの学校には別に「フジミ学級」という障害者の子の特別の校舎があるほど障害の子が多かった。どうして「フジミ学級」にタナベ君が行かなかったのかはその頃知るよしもなかったが、タナベ君は、どういうわけか、私一人にだけなついていた。いつも後ろをついてくるのである。

タナベ君は毎日「葛原くうん、いっしょに帰ろう」もしくは「一緒に帰ってくれる?」と聞き、私が「ウン」と言えば顔をめちゃくちゃにほころばせて喜んだが、「イヤだ」と言うとうなだれて絶望的な顔を露骨にするのでひどく私を困らせた。しかし、保護者然として彼を守るのが私をいい気にさせてもいた。いじめの内容は他愛のないことかもしれない。「バカが移る」「汚い」「臭い」この程度はまだしも、暴行が日常にあった。タナベ君の尻を蹴飛ばし、掃除の時間では箒で思い切り叩かれていたことをよく思い出す。事件には発展しなかったけど。…私には「アトピーが移る」程度で、それは聞き流したが、彼はよく私に助けの視線を投げたが、ほとんど止めることができなかった。止めることをしなかった時の方がよっぽど多かった。しかしよく、タナベ君と一緒に帰り、タナベ君のお母さんから「この子をよろしくね」と拝むように言われることが嬉しかったのだ。お母さんは病的に美しく、痩せて、やさしかった。タナベ君の家でよくファミコンをした。ツインビー、オバケのQ太郎が好きだった。

小学生4年の秋、私の家が火事になり引越しをせざるを得なくなった。引越しをすること(別れ)が理解できず、最後か、最後に近い日に、「葛原くうん、いっしょに帰ろう」と言われたとき、私は黙っていることしかできなかった。頭の中ではっきり「ぼくはタナベ君を見捨てるんだ」と意識していた。

何度か引越しをして落ち着いた先は聖蹟桜ヶ丘であった。転校生として、私は卒業までなじめなかった。やはり入院をくりかえし、森田式療法のある病院に通っていた。

中1の夏、いじめに遭った。いじめられていた子といじめていた集団の間に入ってしまい、標的が私に代わったのだ。個人が個人を…であったら何の問題もなかった。しかし集団はここでは苛烈だった。標的となった翌朝から体操着、上履き、ノートはなくなり、画鋲がまかれ、集団無視と最後には暴行となった。防衛上、今はほとんど記憶が無いが、殺される恐怖を体験した。この時、教師は私が原因であるとした。絶望した。

その後、すぐにエスケープをした。半年だけの在籍だった。翌年、私は父親の紹介で知的障害者がつどう練馬のクッキー屋で働くことになった。そこではタナベ君同様、みんなと仲良くなり、寄り添い、よくふざけ合った。少しだけ笑えるようになった。

中学三年の春に、特別学級「F組」に編入した。同じいじめが遭った学校の中なので初登校の日は悲愴な思いだったことを覚えている。「F組」という名称もおかしなものだった。当時こういう隔離教室しかなかったのである。しかも「F組珍しさ」で他の生徒がよく覗きにきた。しかし、構内からは保健室と教員室を通過しなければならず、それも稀だった。先生が見張っていたのだ。「F組」はいじめに遭った生徒、もしくは特別な事情と環境で通学できない生徒約10数名の小さなクラスだった。

「F組」の先生は親切だった。私は多摩川を得てから野生児として毎日釣りをしていた。「F組」でできた友達を巻き込んで、放課後、釣竿をかつぎ、魚がいそうな釣り場を探しながら土手を歩いていたなつかしい思い出が私の人生の中で一番うつくしいものだった。

「F組」の教室には「ちばてつや少女漫画全集」があった。「ユキの太陽」「みそっかす」「島っ子」などが、私の支えとなった。

高校は私にとって最後の人生のやり直しだった。内向的な、大人しい生徒はいじめの標的になる経験上から、私は率先して活動的に装った。高校1年生でただ一人、生徒会に立候補した。運動は苦手だがバスケ部に入部した。そこで演説をしたのが私の最初の「朗読」である。先生を身内にし、文化祭も、一度だけ体験したが、そこでも活動的だった。蕎麦屋とスカイラークでバイトもした。しかし力の加減が分からなかったのだ。疲れ切ってしまい、また突然不登校になったのだ。

「中退の届出」を校長に提出する前夜、やはり疲れきっていた母親が「それでいいのね? 辞めるのね?」と深いため息をついて言った光景が未だにこびりついている。母子とも、もう涙が出なかった。

これを書いている文章の硬さに、32歳の今でさえ、影響を及ぼしているようだ…。

辞めたあと、家族が眠り、家族が起きる間が私の活動時間だった。(これは小学生から続いていたが、特にこの時期がそうだった)

桜ヶ丘の丘のうえを徘徊した。チャイコフスキーを口ずさみながら死に場所を探していたのだ。それは橋の上、桜の木の崖に多かった。

今でもベランダから飛び降りた私の死体を思い出す。
はじめて詩を書いた。自分の死体を扱った「炎」という詩である。
16歳の冬だったと思う。

話は飛ぶが、18歳で家出をして農業共同体「新しき村」で同じ年齢の青年と出逢った。彼は私以上に壮絶ないじめ体験があり、ヘッセ、太宰という同じ拠り所を持ち、兄弟のように三ヶ月を暮らした。夜はヘッセ、武者小路、太宰、カント、ヒルティ、仏教、キリスト教の話が尽きなかった。今でも思い出す。新しき村の美しい梅の木の野路、あぜ道を、肩をぶつけながら語り尽くした夜の道を。しかし、同時にここでも「いじめ」は存在していた。彼は「どもり」がひどかった。コミュニケーションにつまづき、身体がひ弱であったため農業従事が厳しかった。大人である村民が森田直樹を徹底的に追放したのだ。最後に彼の下宿先の扉に「出て行け」と落ちないマジックで書かれ、それを黙って一生懸命消していた彼の姿を忘れない。その時も私は何をしていたのだろう。何もしていなかったことをしていたのだ。タナベ君同様に見捨てたという痛恨の念が、根を下ろして久しい。

彼はその後医療ミスで25歳の若さで殺された。しかし短大では講師もし、大学では哲学科を主席で通し、表彰されもした。未来ある詩人であり、哲人であり、画家だった。「亮ちゃんはもう少し楽になった方が良いよ…」いつも彼は私の隣にいたのだった。

つれづれ、書いてしまった。もう筆を止める。

現在の「いじめ」は、私の時代とは比べようも無いほどに陰惨で、犯人の見当たらない犯罪となっている。年間3万人以上の自殺者を12年以上続けているこの国に、海外から発信されたピンクシャツデーは見逃すことができない。私でさえ、幾度も自殺未遂をくりかえしてきたのだ。ドラマ「聖者の行進」(凄惨ないじめが描かれている)が放送された98年にはそれまでの自殺者数を八千人も増やしてしまってもいる。3万人が「いじめ」による自殺ではないにしろ、切実な人災として、報道されずにいる犯罪がなんと多いことか。「いじめ」は90年代、00年代、2010年代とますます根を下ろしていることに恥辱すら感じるのだ。

作家でありマイミクの中園直樹さんが立ち上げた「ピンクシャツデー・コミュニティ」がmixiにある。私も参加している。興味ある方はぜひ、立ち寄ってもらいたい。

いままさに死に際にある命に、届くことができればと願う。

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新作 自由律俳句(制作順)

昨日、新しいパソコンを迎え、まず第一にすべきことは
ムジカの編集であることは百も承知のうえ、
指を静かにキーボードに置いたらば、
生まれけるもの以下の如くであった。


 ─首ひとつ─


まだ眠らない骨抜いて見ている


白夜の部屋だ 鳥のさえずり


目が二つ時々落ちてしまう


完結のいつか見た空


北からは戻れない


実存が融ける


世の酸の雨浴びている


肺の小鳥が今日もうるさい


掻きむしる全身皮剥げばうつろ


病み果てた富士山少し欠けている


うつむく形がすでに羊だ


笹舟をゆるり流して日暮れまで


いっせいに飢えている桜である


首ひとつ手毬の女にくれてやる


皿を割るまた健全な朝のため


世をミュートするため携帯は失くす


余震ひとつ地球の背中が痒い


喪服降る桜は白を忘れたい


それぞれのカルテを持って泣いている


傘開いたとこだけ消えた


さばくさばくと唱えていちにち


荒らされた畑のような朝である


許すべきものがない桜を降らす


指から芋虫生えて真夜中


記憶燃やせば今日の水の味に気がつく


喫煙の時だけ確かに生きている


水を秘めている蛇口をひねる


どうにもならない胡坐だ


一匹の蟻を潰して春である


さくら女の子ばかり狙っている


生涯居留守


すべてに気づいたら夕暮れ


猫病的なすばやさである


つま先から死んでゆく


致死量まで足りない夜を注ぎ足す


酒が足りない棒っくいになる


死ねばなお生きてしまう詩を捨てる


見られている炎じっとしている


目をそらせてください消えますから


生まれてしまってたくさん食った


使われたい一日使わずにおく


欲まみれの舌すぐに乾く


愛しているから今日の爪切る


青空のどこかに首が浮いている



 結果、余はまた、最短詩型から筆を起こしたのだ。これを特に記しておく。失望の日々を支えてくれたものはドストエフスキー「悪霊」、西川徹郎「無灯艦隊」、司馬遼太郎「空海の風景」、尾崎放哉句集。そのほか、ブコウスキーの日記など。

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おしらせ その3 次回のムジカマジカ情報

3月18日公演延期となりましたムジカマジカ八の日程が決まりました!

今回から完全前売りチケット制となっております。当日券には限りがございますので、
ギリギリまで予定が分からない方はご相談ください。
席に限りがございますのでお早めにご連絡ください。
 
ムジカマジカ八

場所はライヴハウス「吉祥寺曼荼羅」
5月25日(水) 18:45開場 19:30開演
前売り2000円 当日2500円各+1drink。
学生割引1500円(要学生証)
JR吉祥寺駅南口徒歩2~3分。会場℡0422-48-5003

朗読/葛原りょう ピアノ/伊藤愛 ヴァイオリン/山本美嶺
<サポート>ドラム・パーカッション/まぁびぃ

☆ムジカマジカ七はお蔭様で満員御礼となりました。
ありがとうございました!!
☆山形・南陽市の初の遠征チャリティライヴは2度のアンコールを頂き、
 230名余の盛況となりました。ありがとうございました!! 

来たる5月25日、
1部は、毎回、テーマを設け、熱演します。
1945年以後の時代から、ビート詩人、
自由な言語を獲得した世界を描きます。
テーマ「束縛からの解放!」です。

2部は結成2周年記念として
ムジカマジカスタイルで繰り広げる
パッションとアダージョの交錯、
コトバと音楽一体の渾身のライヴ。
ムジカマジカの代表作が集結します。

朗読か!? 演劇か!? 前衛か!? アングラか!?

──その、いずれでもないムジカマジカ・ワールドをご体験ください。 

2009年4月に結成し、2年を経た朗読バンドの
新たなる挑戦は続きます。
(当日は満席が予想されます。
 ご来場いただけましたらお早めにチケットをお求めください!)

†お問い合わせ・前売りチケットご予約†
e-mail musicamagica_info@yahoo.co.jp
℡ 080-5378-2116(代表)

振込み口座
東京三菱UFJ銀行(普)0121987 千駄木支店063

口座名義人→タシロタマミ

または現金書留か直接メンバーにお渡しください。
チケットをお送りします。
§チケット郵送のため、郵送費80円+前売り2000円をお振込みください。§

現金書留送付先
〒113‐0022東京都文京区千駄木2‐33‐2北邨荘E号室 葛原方
ムジカマジカ事務局まで。

当日はムジカマジカ初のCD「ムジカマジカライヴ四・セレクション版」、
葛原りょう第1、第2詩集、それに作者本人の手製による詩歌句集など物販いたします。
(ライブ特別価格!)すべて入手困難な商品です。
ライヴ会場限定ですので、お手に取ってご覧ください。

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お知らせとご報告 その2 大衆文藝ムジカの現状

大衆文藝ムジカの告知ができなかった状況が続いておりました。

金銭的な理由で印刷所が決まらず、全国の印刷所を方々探していましたが、

ここ数日、ようやく一つの見積書が条件に合いましたことをご報告いたします。

今まで、遅延につぐ遅延でたいへん多くの方に
ご心配とご不快な思いをさせてきたこと、深くお詫び申し上げます。

五行歌の会、詩人会議、コールサック社と
今まで編集業に携わって参りましたが、
いざ、本を出版するということについては未経験で、
これほどの多くのつまずきがあるとは思いもよらないものでした。

すべて経験になるとはいえ、本当に申し訳ありませんでした。

印刷所は、ほぼ見通しがききましたが、
このたびの東日本大震災で印刷所関連の打撃、紙不足がどこまで影響するかはわかりませんが、一つずつクリアし、必ず出版の運びとなるようお約束いたします。

年内に創刊準備号・創刊号の二冊を上梓したく活動しています。
夏と冬になりますが、詳細はまた後日にご報告いたします。

詩・短歌・俳句・小説・漫画などなどが一同に会する
大衆文藝ムジカのご支援を引き続きお願い申し上げます。

 2011年4月16日
 代表・葛原りょう

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お知らせ・ご報告 その1(mixiより転載)

ご無沙汰しています。葛原です。

4月7、8、9日青森県八戸に行って参りました。
当日、震度6の大きな地震があり、
夜行バス「シリウス」号は一般道で走り、
片道17時間、途中、仙台、そして
3・11震度7を記録した栗原市で休憩を取り、
コンビニも食堂も真っ暗な中、ロウソクで営業しており、
特に栗原市は白鳥省吾賞を受賞したさいに、
式典でお世話になった思い出深い場所でもあり、万感のかなしみである。

八戸には、長年お世話になっている皮膚病の病院があり、
薬を求めての旅でした。震災により薬が切れて、花粉症もあり、
全身ひどいありさまだった。そして、また、鬱。

無事、診察を終えたものの、地震で夜行バス、電車がストップしてしまい、
なんとか青森駅まで辿り着き、そこで残り一席の夜行バスで東京に戻りました。

しかし、電車の中で、ノートパソコンを失ってしまいました。

残り一席の夜行バスを確保するため、発車まぎわの電車を飛び降り、
扉がしまった時はすでに遅く、網棚のうえのノートパソコンだけ
青森駅方面に行ってしまった。一つ後の電車で追いかけたけど、
もう袋ごと見当たらなくなっていた…。

警察、鉄道会社すべてに届出を出したが、現在もまだ行方知れずである。

この中には、すべての思い出と作品が入っており、
作品は去年までのはバックアップを取ってましたが、
今年の短歌、俳句およそ2、300は紛失。なによりも
大事な音源、写真、画像はバックアップを取り忘れており、
全て紛失。

幸い、大衆文藝ムジカの作品だけは
今年になってからもバックアップを取っておいたので、
それは無事でした。

あれから一週間経ちましたが、殆ど絶望的な想いで一日、一日を過ごしていた。諦めきれるものではない。震災に遭われた方に比べたら、という思いで呑み込むしか、ない。

それにしてもお金にならないノートパソコンである。
捨てられたか、盗られたか、分からないけど、見つかることを祈る。

友人の某氏から、この件のあと、使っていないノートパソコン一式を
送っていただいた。地獄に仏とはこのことであり、本当に涙がでた。

氏には、昨日、ネット接続までお世話になった。

それで、ようやくのmixiである。

また仕事ができるのだ。創作と編集と。

・・・・・・・・・・・・・・

以下、これもたいへん遅くなりましたが
3月18日と19日に行いましたチャリティ・ライヴの
吉祥寺曼荼羅の店主、狩俣氏からのご報告です。

葛原さま

先週のライブお疲れさまでした。ムジカマジカの8が行えなかったのはすごく残念でしたが、違う形になりましたが、あのチャリティーライブもすごく意味のある事だったと思います。やはりアーティストの心意気が良い結果に繋がったのだと実感しました。義援金のご報告をしておきます。

18日 ¥24824-
19日 ¥3773-

の金額が集まりました。これはすごい事だと思います。実際どれだけの人が救えるのか、私は専門家ではないので分かりませんが、気持ちの問題ですよね。

赤十字社関東・東北大震災義援金口座へ振込ました。

行動をおこすのも大変な事ですが、その事誰かが救われるのです。

また葛原さんには色々とご協力してほしいと思いますので、これからもご協力宜しくお願いします。

狩俣

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